第1話 クジャクサボテン

2018.01.05, 近頃のこと

~2018.01.05(金)~

 昨年の夏、弊社の定時株主総会にて私は代表取締役会長を辞し相談役に就任した。数年前から創業三十三年の節目を迎えた時は信頼すべき後継者に経営を委ねると決めていたからである。

 創業にはそれなりの苦労があった。しかし、後継者にも“事業継承と拡大”という異質な苦難があるはず、何故ならば創業期と現代を比較すると時代の潮流や価値観、政治情勢や経済事情がまったく異なり、若き社員の気質も大きく変わったようにも思えるからである。しかし、その難局を如何にして克服するかは本人の哲学と手腕によるものであるが故に、決してひるむことなく常に自己研鑽に務めて欲しいと願っている。“未来への夢”を捨てずにしぶとく“努力”すれば必ずや「道は開ける」・・これが私の拙い経験から学んだ教訓である。だが、経営は決して孤独や苦労ばかりではない、心に残る楽しい出来事や窮地から救われた意外な展開、尊敬する人物に出会えるなど“人生の果実”は数限りなくある。要するに「自分の生き方」を見極める修行の場が「経営」という領域にあると言えるであろう。

 さて、弊社設立以来の事業経過は、過年発刊した「創業二十年記念誌」や「創業三十周年記念誌」の中で様々な形で著したが、何分原稿の制限があって残念ながら掲載出来なかった事柄も多くあったと悔やまれる。そこで、その余白を埋めるため、また、現職を辞した後の近況をお伝えする主旨も合わせて、今回より「近頃のこと」と題し、改めて拙文を掲載することにした、「月曜の朝」の続編と言ってもよいのかもしれない。私が退社するまでの短い期間になるとは思うが、後に続く若き社員たちに言い残すことなく、また自分に対しても悔いを残さず、私の体験記を出来る限り書き続けて行きたい。平成三十年を迎え、新たな気持ちで自分の足跡を振り返る意味に於いても、また、来年は元号が変わるとのことに鑑み、弊社が“昭和時代”という時代に産み落とした“遺産は何か”との思いも含め、その心意気をここに刻むことが出来れば幸いである。左様に念じながら、第1話として「月曜の朝」に掲載出来なかった体験談のひとつ「クジャクサボテン」に纏わる爽やかな思い出話を取上げることにした。

 平成七年の夏、弊社は創業期に設置した(昭和五十九年六月)事務所を移転することになった。当初は約50坪の小さな事務所と社員8名で出発したが、約十年を経過する中で売り上額が延びるに従い社員数も増え事務所が狭くなったのが移転の理由であった。表向きは“事業規模の拡大を図るため”と格好よく社員に説明したが、実情は経費が嵩み利益率は低下する一方で財政は火の車、よって、真の目的はコストダウンと開発作業の効率化、左様なことはおくびにも出さず胸の中に仕舞い込むことにした。北海道にもバブル崩壊の兆しが見えはじめた頃のことである。同業者の倒産が目立ち我が社も多少なりとも不良債権を抱え、銀行からの借入金も増えていた。この難局から逃れるためには安定した収入源の確保が必須、私はビッグユーザの開拓を目標に昼夜問わず営業案件を追い求めなければならない窮地に落込んでいた。ある日のこと、帰り道に寒さと辛い気分を紛らわすため小さな“おでん屋”に立ち寄った。札幌駅近くの中通りを行くと赤提灯がポツンと灯り、暖簾を潜ると母親と娘さんが切り盛りしている小さなお店だった。時々立ち寄るうちに常連になり、次第に悪い癖が出て“飲み代”を溜めるようになった。よく憶えてはいないが、おおよそ三か月分ぐらいと思うので十万円ほどではなかったか・・・。

 忘れもしない引越しが無事に終わり落ち着いた秋、お店の娘さんが新しい事務所を訪ねて来た。お母さんからの伝言だと前置きして「飲み代はご祝儀の代わりとして精算」と言い、「お祝いに、縁起がいいから傍に置いて下さい」とクジャクサボテンを持って来た。それでは余りにもあつかましいので“せめて飲み代は払わせて下さい”と言うと、“出世払いでいいです!”お母さんからの言付けとのことで、あっけなく私の申し出は断られた。暖かい人情に触れた思いがした、久しく“お祝い”など頂いたことのない私は感謝と感激で胸が一杯になった。早速、自分の机の上に置き、青々と茂る鉢植えを毎日眺めることにした。

 十一月末、一週間ほどの出張から帰りサボテンの様子を覗うと、逞しく成長した枝々に数え切れないほどの青い蕾が健気に並んでいる姿を発見した。眺めているうちに、無数の蕾たちが応援歌を歌いながら私に向かってエールを送っているように思えて来た。私は娘さんが言い残した「縁起」の意味をはじめて知る思いがして胸に熱いものが込み上げた。地獄で仏に会うとはこのこと・・どん底で喘ぐ私の勝手な解釈かも知れないが、この花が社業「繁栄」のシンボルだと思うと、心の何処かに自信と勇気が湧いて来た。

 クリスマスを迎えようとしていたある日、ふと、目を転ずるとあの蒼い蕾たちが鮮やかな橙色に変身して鉢からこぼれんばかりの花を咲かせていた。まるで夜空に放った花火のように見違えるほど艶やかな姿形を装い私の前に現われた。これも突然だった。机の周辺が神々しい光を浴びたように輝き、社員たちも大喜びで「お正月は玄関先に飾って来客にも見てもらおう!」と大声を挙げ元気を取り戻した。全員一致でジャクサボテンを玄関先に置くことに決め、水遣りは社員の日課となった。この時、既にこの橙色の花だけが予知していたことかも知れないが、苦戦していた営業案件が漸く決まり、長年の苦労が実って業績が上向きはじめたのである。期末決算処理は好成績を納め、向こう三年間に渡る売り上額の見通しも立った。定時株主総会では社員の努力により“営業案件の増大”と“移転効果を得て利益率の上がった”と株主に説明した。しかし、心の中では肝心要の要因はもうひとつ「クジャクサボテン」が見守ってくれたお陰です!と叫んでいた。お店の女将と娘さんとのご縁で“縁起”と言って授かったクジャクサボテンは正しく社業発展の前触れ、私はこの母親と娘に救われたのである。

 以来、感謝の思いは私の胸の裡に仕舞い込んだままである。しかしながら、驚くべきことは約二十二年間の歳月を経てクジャクサボテンはクリスマスが近づく度に打ち上げ花火のように艶やかに咲き誇っているという事実であろう。この姿は、まるで我が社の繁栄を祝い、あの母親と娘さんがいつまでも見守ってくれているかの如くある。凛としたその姿はまるで“守護神”の如き品格に満ちている。勿論、今年も見事に咲いたが、その健気な姿を眺めていると苦しかった当時を決して忘れてはならない!と私や社員たちを諌めているように思えてならない。

 何時の時代も経営者の苦労は尽きない、しかし、様々な人々との出会いから巻き起こる予期せぬ喜びや感激、この無形の人的資産こそが社業発展の原動力になることを見逃してはならない。毎年毎の決算数字には無形の価値が潜んで在ることを、後継者に是非とも学んで欲しいと願っている。私の拙い経験によれば、経営者の品格とは人情に触れる喜びと感謝を待つ心を有すること、美しいものを愛でる豊な感性を身に付けることに在ると思われる。(終)