第22話仰げば尊し わが師の恩
2016.02.15, 月曜の朝
~2016.02.15(月)~
冠省
T君!昨年は貴兄はじめ幹事諸君の“あの頃”と同様に、実に爽やかで深い思いやりに浴し、初めて開いたクラス会に参加でき誠に有難う御座いました。春の早慶戦で同級生が揃ってはじめて新宿へ行進する途中、“紺碧の空”を大声で歌う見知らぬ隣の青年に声を掛けたのが貴兄との出会いでした。この夜の飲み会で意気投合し、次の日曜日には原宿駅のホームで待ち合わせ、日が暮れるまで明治神宮の森を散歩して以来、授業が終わると決まって飲みに誘い合い、こうして目論んだ計略はもろくも崩れ去った訳ですが、著名な教授から私の作品を評価して頂いたことが何よりも嬉しく、しかも卒業間際での貴重な体験で心に染みる出来事だと思い、“母には悪いが一年限りを約束に留年だ”と割り切ると、それまで落ち込んでいた気持ちは何処かに吹っ飛んで仕舞い、K教授とはもっと親しくなりたいという淡い願望が芽生えました。しばらくして、掲示板に卒業生名簿が貼られ覚悟を決めて見に行くと、何と!驚いたことにその一覧表に私の名前が乗っているではありませんか!黒々と毛筆で書かれた我が苗字が眼に入った時、思わずK教授の笑顔が浮びました。後日、手にした成績表の「哲学概論」の欄には“可”が輝いて見え、卒業出来るのはK教授のお陰だ!と思うと胸が熱くなりました。しかし、よく考えると、こうした事態を招いたことには何も然るべき根拠はありません、目立つ行為は返ってK教授にご迷惑をお掛け大切な恩も仇になりかねない・・と自分に言い聞かせ、お礼にお伺いすることは遠慮致しました。以来、今日まで封印は解かれないままですが、証拠に教授の著書「哲学概論」が書棚に残りました。今、その著書を取り出し、貴兄の友情に浸りながらこの手紙を書いています。末筆ながら、もうひとつお伝えします。
お話したO君から年賀状が届き、クラス会に出席した感激を私にも伝えて来ました。相変わらず不器用な男ですが、本年からは東京を離れ雑誌社の取材を兼ねて気ままな旅を楽しむとのことでした。その末尾に「近々、流氷を見にオホーツクを訪ね、帰りに札幌に立ち寄る」とありました。貴兄も、北海道の地酒で一杯汲み交わす機会を作って下さい。NHK大河ドラマ「真田丸」で信州信濃の風景を拝見、日本の原風景が現存する田舎で余生を送る貴兄は果報者だと思います。もちろん、私も貴兄の故郷を訪ねたく存じます、お互い元気なうちにお会いする機会を増やそうではありませんか!早々
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本文中、上記に載せた最初の写真は、去る平成二十七年十一月二十六日(木)母校キャンバスでクラス会を済ませた後、幹事T君から届いた礼状である。その文面に、
みんなに会えて良かったね 誰も変わっていなかった
みんな、あの時のままだ また、会おうね
人生これからだもの 何回も何回も会おう(2015、11、30)
と記され、さり気無く「また、ね。」と手書きが添えてあった。互いに残り少ない余生を持つ者同士であればこそ、さり気無いこの“呼び掛け”の奥には、青春時代の無邪気な余韻と共に、細き命の糸を紡ぎ再会を祈る友の労わりが蠢いている気がしてならなかった。
(終わり)