第18話 ひな祭り

2015.03.30, 月曜の朝

~2015.3.30(月)~

 漸く街中の雪が解けはじめた二月下旬の土曜日、いつもお世話になる調剤薬局の片隅で家内と一緒に名前を呼ばれるのを待っていると、窓辺に暖かな日差しが射し込みポツン~ポツンと屋根から雪が解ける音が聞こえて来た。雨だれの音が春を告げている・・窓を覗くと無数の水滴が軒下で数珠のように連なり光っている。
次から次へと落ちてはまた連なる光の糸にじっと目を据える家内が「漸く春ね~今年はお雛様を飾ろうか・・」ぽつりと呟いた。「えっ」私は思わず聞き返した。思い返すと、彼女が脳血栓で倒れてから約十一年が経る中、たしか?一度だけ退院した翌年に私から「ひなを飾ろう・・」を言い出したことがある。この時は元気を取り戻すように!と雛に祈る思いで準備したどうにもやるせない「ひな祭り」だった。
以来、辛いことや悲しいことにもめげず日々のリハビリーを続け、楽しいことや嬉しいことも含めて様々な山坂を越えて来た。そこへ思いも寄らぬ言葉が本人から飛び出したので思わず慌ててしまったが“やっと元気を取り戻した”と思い直すと誰かに褒められた気がして嬉しかった。早速、二階部屋の納戸を探すと記憶に残る木箱とボロボロのダンボール箱が出て来た。約十年ぶりの再会、諦めていた「ひな祭り」が我家にも春と共に廻って来た。暗闇の中で木箱を覗くと長い眠りから覚めたお姫様の如き女雛が私に微笑みを掛けて来たのであった。
 「ひな祭り」が近づいたある日、茶の間のテーブルに赤い毛氈を敷き即席の雛壇を設けた。雛たちは風通しが悪く湿度の多い納戸に耐え、如何なるカビも寄せ付けず、如何なる虫にも喰われず、華麗な姿を昔のまま残して内裏様を中心に慎ましい振る舞いを見せながら静かに並んだ。中でも女雛は恥らうように頭を前に少し傾け奥ゆかしく最上段に座した。また、男雛の表情ひとつ見ても異国風で妙に浮き立つ現代の在り様とは大きく違い、その険しい顔付きは威風堂々と気品に満ち慈愛が溢れ、戦後派の私でさえ共感を憶える。
 雛たちは家内が満三歳を迎えた時、娘の成長と幸せを願い父親が贈ってくれたとのこと。戦後間もない頃のこと故、華美で贅沢な装飾は何処にも見当たらず、それぞれの姿や形も小さく控え目で衣装も決して派手ではなく、殊に五人囃子が欠けている様は物不足で貧しかった当時を思い出させてくれる。娘に対する父親の温かい愛情と共に日本古来の“優雅な風情”が伝わり、幾ら歳月を重ねようとも最初から宿している品格はいつまでも失うことがない。この壮大なパワーは、時代を越え折々の“時運”を写す鏡のようでもあり、眺めているうちに芥川龍之介の「雛」という短編小説(大正十二年発刊「中央公論」に掲載)を思い出した。この作品は“鶴”という名の老婆が少女時代を振り返る物語である。
 老婆が十五歳の時、大切にしているお雛様を横浜に住むアメリカ人へ売り渡すことになり、これをめぐる両親と兄との細やかな愛情の葛藤が描かれ、厚い人情味と厳かな伝統美が失われて行く時代の寂寥感を捉えている。鶴の生家は江戸時代から代々続く諸大名の御用金を扱う豪商だが、徳川家の瓦解によって時代が大きく変わり、父親が願いを込めて娘に贈った“雛”までも売らねばならぬほど身代が窮地に陥り、崩壊寸前の憂き目に合っている。しかも、買い手が横浜のアメリカ人であるため事情によっては大切な雛を外国へ持ち去るとも限らない。相手に渡す前にもう一度“雛”に会いたいとダダを捏ねる娘、昔気質で誠実な父親は前金を受け取ったからには“他人の持ち物”と言って頑なにこれを許さない。傍で見ている兄は娘と同じ辛い気持を秘めて我慢する父親の胸中を見抜き、妹には我儘だと言って故意に叱り付ける。
 それぞれが抱く悲しみを傍で温かく見守る病床の母親、それを余所にとうとう雛を引き渡す前夜を迎える。折りしも使い古した無尽燈から新しいランプへと切り替えた部屋に集り、互いに辛い気持ちを抑え表向きは和やかな会話をくり広げる。避けられない深刻な事態と真正面から向き合い、お互いに心を通わせ穏かな気持ちでこの難儀を受け止めようとする、何とも健気な姿を新しい時代のランプが明るく照らす。この印象的な場面を本文(芥川龍之介全集第六巻、岩波書店より)から以下の通り抜粋する。
 ***~(抜)しかしその晩の夕飯は何時もより花やかな気がしました。それは申す迄もございません。あの薄暗い無尽燈の代わりに、今夜は新しいランプの光が輝いているからでございます。(抜)石油を透かした硝子の壷、動かない焔を守った火屋、―――そう云うものの美しさに満ちた珍しいランプを眺めました。「明るいな。昼のようだな。」父も母を振り返りながら、満足そうに申しました。「眩し過ぎる位ですね。」かう申した母の顔には、殆ど不安に近い色が浮かんでいたものでございます。「そりやあ無尽燈に慣れていたから・・・だが、一度ランプをつけちゃあ、もう無尽燈はつけられない。」「何でも始は眩し過ぎるんですよ。ランプでも、西洋の学問でも・・・」兄は誰れよりもはしゃいでおりました。(抜)~***
 無尽燈も雛と同様に昔からの生活文化の象徴である。これとは別に“石油を透かした硝子の壷”の如く眩しいほどに華やいだ新しい時代の到来、激しい潮流に戸惑いながら如何ともし難い家族の悲劇、時代の変わり目は人間の失意と希望が同時に交差する狭間である。
 ところが、この後で思いも寄らぬ結末が待ち受けている。団欒を終え家族が寝静まった夜更けに土蔵から物音が聞こえるので主人公の鶴が目を覚ます。よく見ると、総桐の箱から雛を取り出してしみじみと別れを惜しむ父親の姿が行灯の薄暗い明かりの中に浮かぶ。娘が声を殺して寝床からこの光景を見守る様子は私たちに深い感動を与えて止まない。小説はこのクライマックスで終わる。但し、鬼才の持ち主である作者は最終稿を書き上げて尚も、以下の添え書き(芥川龍之介全集第六巻、岩波書店)を忘れなかった。
 ***「雛」の話を書きかけたのは何年か前のことである。それを今書き上げたのは瀧田氏の勧めによるのみでない。同時に又四五日前、横浜の或英吉利人の客間に、古雛の首を玩具にしている紅毛の童女に遇ったからである。今はこの話に出て来る雛も、鉛の兵隊やゴムの人形と一つ玩具箱に投げ込こまれながら、同じ憂き目を見ているのかもしれない。***
 作者は時流によって消滅する日本の伝統に愛惜の念を込め、雛の行く末を案じている。その不安は、同時に日本の将来への危惧でもあろう。
 我家の雛壇を眺めながら小説の“雛”を思い浮かべると、今も何処かで他の人形に混じって粗末に扱われているのだろうかと少々不快だった。これに比べ、我家の雛たちは敗戦後間もない混乱の時代を無事に乗り越えたお陰でこうして持ち主の手元に残っていることは有り難く、日本が平和であるからこそ穏かな生活が出来ると感謝する気持ちにもなった。しかしながら、何故か?手放しで喜ぶ気にもなれない・・。たしかに敗戦国がいつまでも占領下に置かれず、その先は経済大国と言われるまでに発展した。にもかかわらず、物不足や貧しさから開放された今でも、時々満たされない気分に落込むのは私ばかりではないはず!それはいったい何故であろうか?
 こうして我家の雛たちを眺めていると、顔の表情、身に着けた衣装、髪飾りや仕草など、約一世紀前の姿や形を通してふつふつと蘇るこの不思議な“豊かさ”はいったい何だろうか・・見る者に与える甘美な“安らぎ”は何処から来るのか?疑問に思うと小説の老婆が脳裏を霞めた。以下の抜粋文(芥川龍之介全集第六巻、岩波書店)は老婆が語る場面である。
 ***夢かと思うと申すのはああいう時でございましょう。わたしは殆ど息をつかずに、この不思議を見守りました。覚束ない行灯の光の中に、象牙のしゃくをかまえた男雛を、冠の瓔珞を垂れた女雛を、右近の橘を、左近の桜を、柄の長い日傘を担いだ仕丁を、眼八部に高つきを捧げた官女を、小さい蒔絵の鏡台や箪笥を、貝殻ずくしの雛屏風を、膳椀を、絵雪洞を、色糸の手毬を、そうして又父の横顔を・・(抜く)・・しかしわたしはあの夜更けに、独り雛を眺めている、年とった父を見かけました。それだけは確かでございます。そうすればたとえ夢にしても、別段悔しいとは思いません。兎に角わたしは眼のあたりに、わたしと少しも変わらない父を見たのでございますから、女々しい、・・その時のおごそかな父を見たのでございますから。***
 父親は薄明かりの中でいったい何を考えていたのであろうか?
 いつまでも雛との別離で未練を引き摺っていたとは思えない。それは、代々続いた身代を潰し昔から伝わる人情の機微や物ごとの価値など、世の中のすべてを変えて仕舞った時代の流れと向き合った時、人間ははじめて“もののあわれ”という無常観に心を打たれ、抜け殻になった魂が虚空を彷徨うと想像出来るからである。更に、この場面は戦後の日本人が何処かへ置き忘れた“厳かな心”に触れている。言い換えれば、“誇り高き志”と呼ぶアイデンチーテイのことである。
本文の結びに、老婆が茫々たる“父”を「女々しい・・」と言い掛け、改めて「おごそかな父・・」と言い直す場面がある。この部分で“父”の代わりに“日本”という文字を当てはめると作者の意図がより鮮明に伝わって来る気がしてならない。日本人は、時には女々しくもあるが、襟を正せば、心が引き締まるほど重々しい精神を有している、との解釈である。
 私もそうした日本人の一人であるならば、如何なる時代の変化に遭遇しようとも“襟を正す”ことを忘れてはならず、“高い誇り”を取り戻すことである。その為には“日本の伝統”をもっと学ばねばならない、そして学んだ果実を若い社員に伝えねばならない。それが戦中派と戦後派の為すべき役割、心を新たに“学ぶ”ことへの情熱が私たちの課題である。
 我が家の「ひな祭り」の朝、いつまでも平穏無事とは限らないが「どちらかが元気なうちは雛を飾ろう」と家内に呼び掛けると珍しく満面に微笑を讃えた。一瞬、雛壇の牛車がゴトンと音を立て一歩前へと踏み出したような気がした。
 窓の外から雨だれの音が聞こえ、我家も春の気配に覆われた。“雨だれ”と言えば、次男が幼い頃にこの窓辺に立ち、突然「ハルダナ~」と一人ため息を付き、私たち家族を笑わせたことがあった。
あの日のことは昨日の如く憶えている。わずか五歳の幼児に“春”を知らせたのは母親でも兄たちでも私でもなく“雨だれ”の音。左様な事は別としても、この幼な子に四季の前触れを感知する能力をいったい何時誰が与えたのであろうか・・。察するに、それは“ハル”という言葉が持つ“魂”の仕業だと理解すれば、不思議と説明が着くのである。これも日本人が昔から有する“おおらかさ”かも知れない。(終)