第17話 我が家の庭先

2015.02.16, 月曜の朝

~2015.2.16(月)~

 穏やかな天候に恵まれた正月が過ぎて間もなく、狂ったような吹雪に見舞われた。
 前日は青空が晴れ渡った日曜日で孫たち(姉11歳と妹9歳)が我家を訪れ庭の隅で雪だるまを作るのを手伝った。物置小屋(私の道具箱)から炭の欠片を探し出し姉妹に渡すとのっぺらぼうのダルマに目と鼻と口が揃ったので満足そうに笑みを浮かべた。完成したダルマの顔立ちが何処か見覚えがあったが何も触れず「よしよし、可愛い雪だるまが上手に出来たね」と褒めてやった。しかしながら、この時に時代が大きく変わった!と痛感させられた。少年の頃、同じ庭先で妹と一緒に雪だるまを作り母に褒められたことを思い出したからである。その時も母が物置小屋から炭の破片を探してくれた。遠くへ過ぎ去った歳月を思い直すと我家にも世代交代の波が静かに押し寄せていることに気が付いた。仲良く雪遊びを続ける姉妹と一緒にしばし和やかな気分に浸ることが出来て嬉しかった。ところが、この夜より天候が急に荒れ出し、朝起きると北風がヒューヒューとガラス窓に吹き付け、ツララが折れてバラバラと軒下に落ちる激しい音、猛々しい吹雪のはじまりだった。急いでテレビを点けると、二つに分かれた低気圧が大きな渦を巻き本道を覆い尽くす天気図が映り、アナウンサーが「大型の低気圧は数日動かぬ様子です」と他人ごとのように淡々と報じた。人の気も知らないで何てことだ・・折角孫たちが作った雪だるまはいったいどうなる!・・いささか腹立しい気分に襲われた。
 余程虫の居所が悪かったのかも知れない・・“道産子は吹雪なんかに負けんぞ!”とアナウンサーを睨み付けいつもより早く自宅を出た。薄暗く凍て付いた道を進むと真正面から吹雪が殴り込んで来た。これにひるまず始発のバスに乗り込むと二つも早い通勤電車(JR千歳線)で札幌に向かった。依然として腹の虫が収まらないところへ、通学の高校生や大学生たちがスマートホンに向かい無気力に沈黙を続ける姿を目の前にして私はますます苛立った。予想も付かないダイヤにこの身を任せれば、その先はいったいどうなる!隣の学生に“果たして君はどうする!”と怒鳴りたい衝動に駆られた。急に“怒り”が“居直り”へと変わったが、決して老人の気まぐれではない。責任を持って物事に当たる“心構え”を言いたかったのだ。その後、電車の運休や遅延にもめげず通勤を続けるうちに週末が近づき吹雪もJR駅の混乱も収まった。
 夜半に目が覚め、吹雪が止んだ気配に気付き急ぎ長靴を履いて外に出た。静まり返った庭先に銀世界が広がり、辺りは妙にしらじらとしている。物置小屋が高く積もった屋根の雪で危うく潰れそうになっている。ところが、吹雪の猛烈な爪跡をよそに雪だるまが平気な顔でこちらを向き、微笑を浮かべている。胸まですっぽり雪で埋もれているが、炭で出来た目鼻と口はそのまま残り、顔立ちは少しも崩れていない。感心して眺めていると、いきなり音を立て屋根から落ちた雪が雪だるまの頭をかすめた。途端に、斜めに傾いたダルマの表情が母によく似ていることに思い当たり、思わず「アッツ」と叫んだ。
 突然、私の戸惑いを払い除けるかのようにけたたましい野鳥の声が辺りに響き、振り向くと二羽のヒヨドリが餌場に残ったヒマワリの種を奪い合っていた。餌場は生前の母が大切に育てた牡丹の傍に備えてある。この花は毎年夏が訪れると紅色の大輪を咲かせ、三メートルほどの高い枝先から満開の花弁を連ねる。その光景はまるで豪華絢爛たる蒔絵を連想させ母の豪胆な人生とも重なった。商魂逞しい母は自宅から離れた川辺りに空地を買い求め仕事の合間に畑を耕し野菜を植え、晩年には庭を造って好きな木々や花々を育てる日々を過ごした。
 母が亡くなって間もなくのこと、供養だと思って故人が特別に手入れしていたオンコやツツジ、牡丹を自宅の庭に移植した。その折、時々庭先に訪れる野鳥に餌場を作ってやった。手入れする主人が変わっても無事に咲き続けて欲しい!との“願い”を天国の母へ届けて貰いたい・・その使者を野鳥に託した。素朴な“思い”に捉われてのことだったが、その使者が餌場に現れたのである。
 ヒヨドリは格別に華麗な翼や美しい嘴を待たないが、我々が想像も付かない優れた能力を有している。無限の空中を飛びながらどんなに小さな餌でも、たとえそれが道端の窪みや物陰に潜んでいようとも必ず見付け出す。しかも、天気が荒れた風雨の日でも、猛吹雪だって平気、必ず餌場に姿を現す。野性の本能だ!と言って誰でもが鋭い視力を指摘するが、決してそればかりではない・・餌場を造った時から私はその摩訶不思議な能力に引かれてしまった。
 雪解けのある晴れた日のこと、牡丹の枝に止まったヒヨドリを眺めているうちに以前に訪れたそれと胸元の色がまったく同じ“白”であることに気が着いた。この野鳥は我が庭に餌場が存することを既に見抜いていたのだ。彼等の脳には精密な地図情報が刻まれ、毎日の飛行経路は克明に記憶されている・・小さな生体そのものが無限大の記憶装置・・この情報網があればこそ執拗に餌を探し求めることが出来る、将に他に類を見ない凄まじい能力がここに潜んでいる。そればかりか、あの繊細なヒヨドリが牡丹に何ら警戒心を持たないのは何故か?それは庭の主が母であることを知り、わが身が使者であることも弁えているからである。
 もうひとつ、母の使者と言えば三年前の秋に旅立った愛犬ネオも同じことが言える。去る平成七年十月に母が他界したが、ネオは翌年の三月十五日に三男の友人宅で生まれ、同年五月二十五日に我家へ貰われて来た。牡丹の蕾が枝々に連なった季節、将に母の身代わりであった。
 はじめての日、母が愛したオンコの枝に首の鎖を繋げたことから、この樹木を“ネオのマツ”と呼んだ。母を亡くした悲しみがいつまで経っても癒えず、その上末っ子までが兄たちと同様に我家から巣立って行くことと重なり、私たち夫婦は枯葉のようにしおれていた。“新しい家族だ”と希望を求め“ネオ”と名付けたのは昨日のように憶えている。元気を失い沈みがちな私たちをネオが持ち前の無邪気な性格でもって爽やかなに慰めてくれたのである。
 不思議なことに、猛吹雪が止んだ明け方にネオが夢の中に現れた。彼はまるで天国の母から伝言を預かったように妙に低い声で遠くから私を呼び止めた。気配はするが姿が見えない・・いつもの“かくれんぼう”か?と思いながら森の奥に目を据えると、静まり返った木立の間からネオの両耳がピクリと動くのが見えた。相変わらず鋭い耳は空に向かってピンと立っている。だが、なかなか姿を見せない。思わせぶりは彼の癖であった。期待に応じてじっと待っていると、日だまりの中からふさふさした茶色の毛で覆われた身体が躍り出た、太い尾を左右に大きく振り私に合図を送って来た。“そのまま走れ!”という私への命令だが、既にネオの身体は宙に舞い上がり雪煙を巻き上げながら猛スピードで私に向かっている。耳を伏せ低く構えた頭部、突き出した鼻先と一直線に伸ばした胴体、靡かせた尾が鋭い流線型を描いている。蹴り上る両足が行く手を掴もうとしてつんのめる。将に原野を駆け抜ける“伝令”の如き使者、この美しい姿こそ天国まで駆け上る魔法の力である。
 凄まじい勢いで私の身体に飛び着くと、辺り一面が大海原に豹変する幻想に包まれた。ユラユラと黒い魚影が蠢く中をネオはフカの如く泳ぎ回る。狂ったように尾ヒレを翻し私の身体に絡み付きながら再会を歓喜する、その剛毅な気質は昔も今も変わらない。彼が最期を迎えた時、傍で泣いてばかりいる私をじっと見詰めながら、ひと言“クン”と言い残して目を閉じた。この時、おそらく彼は「夢で会おう!」と別れを告げたのであった・・私はその意味を漸く知った。その潔い男気がぷんぷん匂う最期の姿を忘れることはない。旅立ったネオは確実に天国を訪ね、母の亡き後の萱場家を自分が守ったと告げた、その報告を持参し夢に現れたのである。久しぶりの再会が私に幸運を運んでくれているようだ。
 本年一月、最後の日曜日は晴れ、姉妹が我が家を訪れ無事だった雪だるまと再会した。私の知り得る最新のアイドルを紹介しようと「スノーマンに似ているよ」と声を掛けると、妹が戸惑った表情を見せた。どうやらこのニューフェースも既に過ぎ去り色あせているらしく、幼い彼女にとって“スノーマン”は馴染みのない言葉であった。素早く姉が我家のパソコンに向かい鮮やかな手つきで操作をはじめると、直ぐに“スノーマン”が画面に現れた。気に入った二人は大喜びで次から次へと画面を写し出した。またもや私は“時代の変り目”をこの目にして愕然とした。少年時代には便利なパソコンは無く、耳新しい“言葉”はひとつひとつ辞書を引いて憶える他に術がなかった。それが今も変わらず、手元の辞書に頼り切っている。何時でも何処でも膨大な知識を瞬時に得られるツールを持つ若者たちを考えると、彼等に見える“世界”は私とまったく異なるであろう、その広さに於いては毛頭適うものではない。改めてスマートホンを活用する若者たちが羨ましくなった。時代遅れの私に同情したのか?・・戦後、君の時代だって素晴らしいことがたくさん在った・・と画面の中で“スノーマン”が微笑んだ。
 頼もしい姉妹はいつまでも画面からスノーマンを呼び出していた。この姉妹の名は“みつき”と“はるな”と言い、両親が付けてくれた。この子等の親が生まれた時代は東京オリンピック開催後、国際化の中で我が国が経済成長を続ける一方で日本人のアイデンティティが強く問われていた。姉妹の名が古来の“ひら仮名”で綴られ、その語彙が“歳時記”の中に記されていることに留意すれば、両親の厚い“願い”が伝わって来る。来る四月からこの姉妹は小学校六年生と四年生になるが、彼女たちが新しい時代と真正面から向き合のもそう遠くではないであろう。
 今年の冬、我が家の庭先には親子四代に渡る宝物、即ち牡丹(母)と物置小屋(私)、ネオのマツ(息子たち)と雪だるま(孫)が揃い、有形と無形、様々に母が残したものに接した。これから先は私自身が子孫や若者たちに何を残すべきか!真面目に考えなければならない年齢を迎えたとつくづく思う。願わくば、ヒヨドリの如く鋭い目とネオの如く剛毅な気質を身に着けたいものである。(終)