第15話 (八)白蛇伝~「コムカラ峠」外伝~

2014.09.22, 月曜の朝, コムカラ峠

~2014.09.22(月)~

 その日、真夜中に雪ちゃんを看護している母から電話が入り、いつも連絡係を務めていた幸ちゃんがいち早くこれを受け取った。日頃から慌しい母の様子を陰で伺っていた彼女はこの日が迫っていることを察知して夜中でも待機していたらしい。直ぐに私の部屋の戸を叩き「雪ちゃんが亡くなったよ」と低い声で告げると家人たちの寝床をひと廻りしながら「みんな起きてちょうだい!」と叫んで大広間に集めた。「これから病院へ行くよ」と言い置くと雪ちゃんが入院した時と同じように手早くリヤカーを裏玄関に付けてみんなを待っていた。前もって母からの言い付けだったらしく、再び彼女がリヤカーを引く先頭に立った。
外に出ると辺りは真っ暗、川べりから聞こえて来るせせらぎの音が妙に耳から離れず、心細い気分も手伝って急がねばならぬ足取りが矢鱈と重く圧し掛かって来た。だが、新橋を渡り終えると行く手にぽつりと小さな明かりが見えた。病院が近い!みんなはほっと胸を撫で下ろした時、幸ちゃんが急に針路を左に折れてそのまま土手の近道を突っ走った。病院まではひと息、玄関先で一列に並び幸ちゃんがしどろもどろで守衛さんに説明すると「静かに行きなさい」と注意され、了解を得るや否や私たちは吸い込まれるように病院の中へ入った。広い廊下が暗闇の奥へと一直線に延びている。どの病室もし~んと寝静まり、思わず幸ちゃんが人差し指を唇に当て「シッー」と言って睨んだのでみんなは揃って忍び足を踏み締め薄明かりの中を奥へ奥へと進んだ。
廊下が裏口に突き当たり漸く病棟の一番外れにある病室の前に立った。幸ちゃんがドアを開けると、青白い光が“待っていた”とばかりにパッと射し込み、スポットライトを浴びたみたいに眩しくて何も見えなくなった。だが、霧が晴れたように辺りが見えはじめると、その中に髪を乱した母の姿がぼ~と浮かび、昇天したばかりの雪ちゃんを両手で抱えていた。痩せ細ったその肩を幾度も摩り垂れ下がった黒髪を丁寧に揃えている母の有様は余りにも哀れで、娘を亡くした母親のように痛々しく映った。
憔悴した母が振り返えり「苦しむことなく息を引き取ったのよ・・」と乾いた声で告げると、言葉が終わらないうちに家人たちが掛け寄りどっと泣き崩れた。幸ちゃんが身を投げ出し母の背中に抱き付く姿を目の前にした私は全身から血気が失せてその場に立ち竦みドアにもたれたまま、熱い涙が溢れて止まらなかった。やがて家人たちは雪ちゃんを囲んでベッドにうずくまり両手を合わせ時間が過ぎるのを忘れて祈り続けた。沈黙の中で下駄屋の出来事が脳裏に浮かんだが、目の前の雪ちゃんを見ると何事もなかったように穏やかな表情を浮かべ、静かに目を瞑り両手を硬く組み合わせて“永遠の別れ”を告げていた。亡くなっても雪ちゃんの顔は普段と同じように美しかった。
ふと外に目を遣ると清流の遥か向こうで空が明るみはじめている。私は妙に寒気がする身体を両腕で覆いながら窓辺に近づいた。一瞬、身体がぶるっと震えた。眺めていると川ベリでスイスイと風に泳ぐ柳の枝に目が留まり、それがあの白蛇を思い出させた。支笏湖で雪ちゃんが口にした伝説・・すると、白蛇が深い湖の底で彼女を捜している光景が浮かび・・もしかすると女神の怒りに触れた雪ちゃんは使者である白蛇に召されて天に登ったのではないのか・・と、もうひとりの私が囁いた。朝焼けの中で怪しく黒い影を落とす外れの病室、ある者は身を切られる悲惨なうめき声におののき、ある者は押しつぶされそうな不気味な空気に身を晒しながら悪夢のような時間が過ぎて行った。
母を前にした医師の説明によると、入院してからの経過は急激に悪化の一途を辿り、最期は肺炎を併発したとのこと、“肺結核”と診断した時は手の施しようがなく、私たちの知らないところで幾度も繰り返し血を吐いていたとのことだった。想像も出来ない深刻な事態をはじめて知ると同時に、我が身を捨てた母の猛烈な看病に驚かされた。
母の嘆きは尋常ではなかった。この日から雪ちゃんに関わることについては決して自ら触れようとせず、傍に母が居ようと居まいと私たちが口にすることも固く禁じた。後日、今年も支笏湖に行こう!とみんなで楽しそうに話していると、「もう行きませんよ、お話しもお止め!」ときつく睨まれ、家中が気まずい空気に包まれてしばらくは食事も喉に通らなかった。
その後、この苦い経験が我家の行楽行事を奪い、もちろん、例年の支笏湖行きは二度と訪れなかった。母は生き残った者たちこそ悲しみを越えて早く元気を取り戻さねばならないと自分に言い聞かせていたに違いない。それは辛い戦争体験がもたらした特別な思いであった。
今思えば、雪ちゃんへ注いだ深い愛情は風当たりの強い世間から庇おうとする単なる同情心だけではなかった。故郷の長沼や苫小牧を捨て幼い妹たちと離れ離れになった母自身の人生に照らすと、決して他人ごとではなく何とかしなければならない焦燥に駆られていたことも頷ける。雪ちゃんばかりでなく、幸ちゃんや家人たちへ傾けた並々ならぬ温情は“若き日の自分”に向けた労わりや慰めを含むものであった。こともあろうに、母親同然の恩人を裏切って米兵との恋愛に走った雪ちゃんを恩知らずな娘だ!と憤慨しながらも、心の底では信ずるがまま、がむしゃらに“生きよう”とする純真な姿に自分の生き方を重ねていたのかも知れない。
看護婦さんから「遺体は病院の車で送りますよ」と親切に奨められた。だが、母は「一緒に連れて帰ります」と冷ややかに断り、その場で用意したリヤカーで運ぶようにと幸ちゃんに言い渡し、自分は直ちに病院を出て何処かへ消えてしまった。残った私と家人たちは一段と重くなった雪ちゃんをリヤカーに乗せて過日通った道を再び引き返えすことになった。幸ちゃんが先頭に立つことも、川べりの風景も数日前と少しも変わらなかったが、雪ちゃんだけが蝋人形のように冷たくなった身体を荷台に横たえていた。
途中、仏様になった彼女を家に連れて帰るなど絵空ごとにしか思えず、現実と夢の間を彷徨いながら夢遊病者のようにふらふらと足を引き摺っていた。ちょうど川ベリに差し掛かったその時、家人のひとりが土手に咲く山ユリの一輪を手折ると故人の胸元にそっと置くのをこの目で見た。まるで胸に着けた花飾りのようだった。はっと我に返ると「あの世で植えてあげてね」と幸ちゃんが口を訊かない雪ちゃんに真面目顔で囁いた。「そんなの嫌だ!」と文句を付けたが、その胸元で鮮やかに咲いている山ユリを眺めていると今にも雪ちゃんの手が橙色の花飾りに届きそうにも見え思わず胸が熱くなった。「やっぱり、あの世でも咲いて」と空を見上げると太陽が照り付けて来た。真夏の昼下がり、この川べりで故人を見送るように咲いていた山ユリは今も忘れることはない。
私たちが家に着くと二人の葬儀屋さんが現れた。いつの間にか母が手配していたのであるが、大広間の隅に小さな祭壇を造くると黒い幕を張って周りを遮断し棺の中に雪ちゃんを納めた。白衣を着せられた胸元にはあの山ユリが添えられ、神々しい姿はまるで支笏湖の女神がのり移ったみたいで、白蛇が近くの川ベリから覗いている気配すら漂っていた。だが、被りもので頭部を覆い右手に杖を持って草鞋を履いた姿はまさに旅支度の尼僧、あまりにも変わり果てた姿に愕然として“もう元には戻れない”と観念する他はなかった。
幸ちゃんが両親に電報を打ちに郵便局へと走った。国道36号線沿いの郵便局から少しばかり行くと“山羊の乳”を貰いに通ったあの下駄屋に着くので老婆に知らせてもよかった。しかし、たとえ老婆が知ってもお参りに来るはずはなく、母と私が胸に仕舞ってさえ置けば弔いごとは無事に済むと自分に言い聞かせた。事実、この日も翌日も老婆は姿を見せなかった。きっと葬儀よりも雪ちゃんの心を大切にしようと気を配ったのであろう。
お使いから戻った幸ちゃんが急いで台所へ入ると母と一緒に夜食の準備に取り掛かった。私たちはのけ者にされたみたいに何ひとつ役割を与えられず大広間にじっと座ったまま通夜がはじまるのを待っていた。ところが、手が離せないはずの幸ちゃんが、時々、祭壇に現れ取り替えたばかりの蝋燭をおしみなく捨て新しいそれと交換して行った。実は二人が忙しく働いている本当の理由は家事を口実に気を紛らわしているに過ぎなかったのである。一方、気が動転して何も役に立たない私たちとは言え、やり場のない辛い気持ちは二人と少しも変わらず、誰も彼もが落ち込んだ気持ちをどうすることも出来ずに狭い部屋の中でただただうろたえてばかり、「死」を前にして為す術は何もなかった。
通夜は私たち身内のみで行われた。母はいつの間にか黒い紋付の和服姿に着替え、父も黒い背広に黒いネクタイ、私は入学式に着た新品同様の学生服、家人たちのそれは意外にも普段着のままであった。彼女たちはこの他にお店で着るドレスしか持っておらず、それも派手でけばけばしい色ばかりだから葬儀には着られなかった。それに、生前の雪ちゃんはドレスを着た厚化粧など大嫌い、その気持ちを汲み“最後の見送り”は普段着がふさわしいとみんなが示し合わせたこと、決して母の言い付けではなかった。
やがて衣を纏ったお坊さんが一人で現れた。母が近くのお寺へ出向いて直接お願いしたらしく、如何にも急場を凌ぐ有様で何処か余所余所しかった。家人たちを胡散臭そうな目で睨むとうやうやしく祭壇の前に座ったが、この時、私たちを理由も無く冷たい目で見る隣人たちと同じ視線を感じた。それよりもいつの間にか姿を消した幸ちゃんに気が付いた。慌てて席を立ち台所に行くと彼女は相変らず忙しそうに手を動かし夕食の支度を続けているので“お経がはじまるよ!”と幾度も目で合図するが頑なに首を振って応じてくれなかった。理由を聞くと泣き出す自分を他人に見られたくないと突っ張っており、健気な彼女を見ていると急にお坊さんが恨めしくなった。そのまま台所に残って手伝うことに決め、お経が終わるまで台所から離れなかった。母に叱られても事情を話せば解ってもらえると自信も湧き、お坊さんに申し訳ないなどとは少しも思わなかった。
 読経が終わるとお坊さんはさっさと帰った。一段落して普段の夕食と同じように私がテーブルを取り出し幸ちゃんが用意した料理を台所へ取りに行った。テーブルは大きく丸かったのでみんなが輪になり、席はいつも決まっている人の隣だった。
直ぐに幸ちゃんは現れたが、先刻来、台所の隅で泣いて腫れた瞼をハンカチで隠そうとした際に慌てて畳の縁に躓いた。すると、手に持っていた箸箱から数え切れない箸が一斉に飛び散り、ザザ・ザア~とまるで夕立に襲われたような騒がしい音を立ててテーブルの上で転がり広がった。しかし、彼女を咎める者は誰もいなかった。何も文句を言わず、家人たちはその箸を一本一本集めて箸箱に戻しながら知らぬ顔して彼女を庇った。幸ちゃんはひと言「ごめんなさい・・」と言い残して台所に戻った。ところが、真っ先にテーブルに運ばれた手料理がまさしく雪ちゃんの大好物、薄切りの胡瓜を塩で揉んだ“酢のもの”であった。幸ちゃんの下向きな心情を察した家人たちは珍しく笑みを浮かべた。一人が立ち上がり台所から雪ちゃんが使っていたお皿を持って来ると、手際よく盛り付けて正面に座布団を置いた。「最後の食事は一緒だね」と手を合わせると、みんなが揃ってお祈りを済ませると“酢のもの”を盛ったその皿を祭壇に奉じた。すると、みんなの前で幸ちゃんがしくしく泣き出した。それから私も家人たちも思いっ切り大声を上げて「雪ちゃん!」と叫んだ。この“酢のもの”は母が彼女に教えた料理のひとつだが、線切りした人参の橙色が胡瓜の緑色に満遍なく冴え渡るのが作り手の自慢だった。その鮮やかな色合いと涼しい香を放つシソの葉が“実家を思い出させてくれる”とポツリと雪ちゃんが何の気なく口にした言葉をみんなが覚えていたのである。私たちは在りし日の雪ちゃんを思い浮かべながら“ありがとう”と言って、再びこの“酢のもの”に箸を付けた。
しばらくして、母が幸ちゃんと私に奥の部屋に来るようにと耳打ちして引き上げた。先刻の通夜に不在だった二人は叱られることを覚悟して部屋に入った。ところが、待っていた母の傍には雪ちゃんが日頃から大切にしていた柳行李が置いてある。「おまえたちの目の前で開けさせて貰いますよ、いいね」と念を押し神妙な顔付きで両手を合わせた。意外な成り行きでほっとしたのも束の間、幸ちゃんも私もますます深刻になり、これから何がはじまるのか?不安に駆られながらこの古風で涼しげな籠に注目した。最初に手ぬぐいと洗面道具が出て来た。続いていつも身に着けていた普段着が現れた。夏物の半袖と冬物の長袖の二着、どれも粗末なシャツとズボンだった。次は無造作にたたまれたドレスが三着。薄いピンクと爽やかな空色、それに地味なグレー、どれも大きな襟で胸元を飾ったワンピース、思わず“サリーが着ていたドレス!”と心の中で叫んだ。郵便貯金の通帳も見付かった、包んであった黄色いハンカチは紛れもなく下駄屋で見掛けたネッカチーフ、私は固唾を飲んで見入った。だが、驚きはこれで済まなかった。
最後に行李の底から出て来た品を目にした私は絶句した。紺地に黄色い花模様を染め付けた浴衣に空色の花緒が付いた下駄が添えてあったからだ。あの寒い朝の出来事が脳裏を駆け巡る、悲しい秘密の証が私の目の前に現れたのである。老婆が“よく似合う”と雪ちゃんに奨めたこの下駄は故郷の祭りで履くはずのもの、それが新品のままで残っていた。初めて見る幸ちゃんは「あら!綺麗」と目を輝かし、事情の知らない母は「浴衣姿が見てみたかった」とつぶやいた。あの吹雪の朝から今日まで大切に持ち歩いていたかと思うと、悔しくて情けなくて何が何だか自分でも解らなくなった。私の胸中を知る由もない母と幸ちゃんは、「大切な形見だ」と言い合いながらいつまでも下駄を眺めているのであった。(つづく)