第15話 (一)白蛇伝~「コムカラ峠」外伝~

2013.09.02, 月曜の朝, コムカラ峠

~2013.09.02(月)~

 平成十五年春、知人の薦めで応募した拙文がはからずも「第23回北海道ノンフィクション大賞」を受賞した。「コムカラ峠」と題した受賞作品の舞台は、昭和二十六年に勃発した朝鮮戦争を契機に米軍基地に豹変した千歳の街、作者が出逢った人々や見聞きした様々な出来事を当時の少年の眼で描いたものであった。著名な地元出版社が主催する栄誉ある賞であることから、今も関係者から幅広くご指導を頂いていることは実に感謝に耐えない。その後、改めて本稿を推敲しもう少し内容に加筆を試み、新たな章立てを興して整理した暁には出版したいと願い、知人達にもそうした胸中を打ち明けていた。しかしながら、家庭や社業など事情が色々と重なり作業が遅れていることは偽りのない事実、皆様にはこの場を借りて心からお詫びを申し上げる次第です。そこで、このお詫びと現状報告を兼ねて現在手掛けている内容の一部をこのコーナを借りてご紹介したいと思います。手元には様々なメモが溜まっていますが、その中からひとつ新たな加筆分の中で薄幸な女性だった”雪ちゃん“との出来事を選ぶことにしました。何分作業の途中でおぼつかないところも多々ありますが、この”白蛇伝“を機に新編「コムカラ峠」に期待を寄せて頂き、旧倍の暖かいご支援を賜れば幸いです。以下、本文は「コムカラ峠」(三)ある朝のこと(十一)キリギリスの丘・・に関するメモから抜粋したものであります。

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 今も支笏湖の湖畔に掛かる大きな鉄橋が千歳川河口の目印となっている。昔、ここに森林鉄道が通っていたなごりであるが、清流はここを発して千歳の街を潤し農村の広がる南空知地帯を悠々と蛇行しながら石狩川と合流する。その源流が支笏連峰の原生林に囲まれた神秘の湖であり、厳つくその身を横たえて昔を物語る鉄橋がそのシンボル、千歳市民は今もこの澄み切った冷たい川の水を飲み家族と共に暮らしている。いわば“世代を超えた命を繋ぐ水”と言えるであろう。だが、人々は時としてこの冷水が塩っ辛く感ずることがある、その訳はかつて遭遇した時代がこの土地に容赦なく強いた過酷な試練とそれを真正面で受けて立ち、貧しくともしたたかに暮らしたおおらかな人間の生き様が同時に溶け合い我々の記憶に浮かぶからであろう。少年時代から今日までこの清流の風景が何ひとつとして変わっていないことが何よりも正直にこのことを証明している。
 昭和二十五年の暮れ、私たち家族は住み慣れた苫小牧を後にして千歳に移った。
 朝鮮戦争がはじまる一足先に母が考案した我が家の姿は、店を兼ねた大きな木造二階建で屋根の下からテラスが突き出し奇妙に目立つ洋風の構えであった。近くの川風を受けて赤いカーテンが翻る両開きの窓、国道36号線(当時は弾丸道路と呼ばれた)に通じる川沿いの道に面した表玄関、派手な細工を施した金具の手すりを伝わって厳つい木製の階段を上がると一面に広がるダンスホール、このホールの片隅には5~6人ほどが立ち飲み出来るカウンターが備えてあり、電気蓄音機から賑やかなジャズが流れ、将に洋画の西部劇に登場する場 面にそっくりであった。建物の脇から薄暗い小路に入ると仕入れ業者と家人専用の裏玄関が口を開け、その隣には粗末な物置小屋が並び、少なくともビール箱100ケースぐらいは収納出来たであろう。家族が暮らす一階の間取りは廊下を挟んで幾つもの部屋に区切られ、若い女性たち十人余りが“住み込み”と称してそれぞれ思いのままに寝泊まりしていた。彼女たちの大半は近隣の貧しい農村の出身であった。
 廊下を突き当たると板間の台所に木製の巨大な冷蔵庫が置かれ、開けると中には5㎏ほどもある氷の塊が幾つも埋められ白い煙を吐いていた。台所の横には家人が店に出る急勾配の階段が立て付けられ、その脇に全員で食事をする大広間があった。時折、彼女たちは寄り添うようにこの部屋に集まり、別れて来た両親や兄弟、故郷のことなど懐かしそうに話していた。母が偶然に居合わせると、たとえ用事が控えていても即座に割って入り、膝を突き合わせて彼女たちの会話に耳を傾けては頷き、一人一人の名前を呼ぶと“幸せになるんだよ!”と確かめるように励ました。母は未だ可憐な少女の面影を残す彼女たちを自分の娘や家族同然に思っていたに違いない。
 女性たちの辛い事情をよく知る母はお正月以外に年に一度だけお店を休み、夏の晴れた日を選んで全員を連れてバスに乗り込み支笏湖に出掛けた。往復バスは一日に数便、客は少なくいつもは母の貸し切り同然であった。湖畔でボート遊びや遊覧船に興じ一段落すると近くの岩場で夜通し作った弁当を広げ、時には鍋釜持参の炊事を楽しみ大騒ぎして羽目を外した。全員がたっぷり飲んで食べた後は、向こう岸にある古びた温泉に浸かり汗を流し夕刻の最終便で帰途に着く、こうして終日を支笏湖で過ごす日帰り旅行がささやかな母の思惑であり全員で楽しむお店の行事でもあった。
 昭和二十七年夏、小学校二年生の夏休みを迎えた私はみんなと一緒にバスに乗り込んだ。お手伝いの幸ちゃんが母の傍で夜通し弁当作りに追われたので、家を出る時から私は苦手な雪ちゃんと一緒だった。彼女は瓜実顔で鼻筋が通り色白の肌が目立つ容姿端麗の古風なタイプ、口数も少なく控え目なことから”大和撫子“と呼ばれ、誰もがうらやむ美人だった。ところが、お店に出ると人が変わったように厚化粧をして白粉の匂いをぷんぷん撒き散らし、普段とは大違いで言葉遣いや立ち振る舞いも急に乱暴になった。たぶん、それは米兵から自分を守る精一杯の演技だったのかも知れない。ただ、気軽な家人たちと違って無愛想な彼女だけは近寄りがたく、本人もみんなとはなかなか馴染めそうになかった。
 湖畔に着くと家人たちはボートに乗ろうと坂下の桟橋に向かったが、雪ちゃんが泳げないと頑固に拒むので私たち二人は近くの鉄橋から漕ぎ手を買って出た母を見守ることに決めた。普段は煙たい母でも、時と場合によっては家中の人気者であった。湖畔の左端に建設された鉄橋は千歳川の河口を跨ぐとそこから細い道に変わり、小高い丘に囲まれた静かな湾へと吸い込まれ、そこは樽前山の麓に設けられたキャンプ場であった。「ホラ・・お店の傍を行く千歳川はここから流れているのよ」と雪ちゃんがニコニコしながら大胆にも橋を渡りはじめた。仕方なく私も後に続いたが、枕木の隙間から湖面が見えるので恐る恐る覗いてみた。すると、青々と暗い湖底が見え隠れし、微かな明かりの中で白い砂が奇妙な縞模様を描いている。目をこすってよく見ると、光の波紋が手招きするように怪しくキラキラと揺らめき、ふと誘われるように吸い込まれそうになった。急いで他に目を遣ると、澄んだ湖の窪地に数百年の樹齢を数える倒木が幾本も薄気味悪く横たわり、苔の生えた太い枝先に魚やカエルの死骸が絡み着いていた。それでも湖面は何事も無かったようにシーンと静まり返り周囲の山々を美しく映し出していた。まるで何者かの仕業のように意味ありげで美しく、それが返って不気味で何人も寄せ付けない魔力を秘めていた。
 いつの間にか私は橋の真ん中に立っていた。この湖は太古の昔から森や獣を平気で呑み込んで大きくなったに違いなく、得体の知れない怪しい“生きもの”が私までも“生け贄”にする・・ふと浮かんだ想像の中からそら恐ろしい魔物が現れた。暗闇の底から私を狙っている・・あらぬ空想に追い立てられてぶるぶると震え出し、とうとうその場にしゃがみ込んでしまった。突然、「立って、走るのよ!」向こう岸に渡った雪ちゃんの叫び声が鉄橋の欄干に響き、私は脇目も振らず全速力で走った。漸く彼女の姿が見えると、そこには樽前山が噴火した時に空へと飛んだ大きな岩が随所に転がり静かな岸辺を白く飾っていた。
 その岸辺からボートを漕ぐ母の姿を眺めていると「ヌシが棲んでいるのよ」と雪ちゃんが低い声でポツリと囁いた。彼女は沖で遊ぶ家人たちと母に目を遣りながら何か別なことを考えているみたいだった。「ヌシって?」慌てて問い直そうとしたが、もし“ヌシが魔物”であればボートに乗った母や家人がみな喰い殺されてしまう!再び無惨な光景に取り憑かれ、思わず母に向かって「危ないぞ!」と必死で叫んだが、声は途中でかすれて届かなかった。私の動揺を直ちに打ち消すように雪ちゃんが珍しく無邪気な目付きで「見た者は誰もいないのさ!」と涼しい口調で笑みを浮かべた。赤い口紅を指した唇の隙間から綺麗な白い歯がこぼれたので「ウサギのような歯だね」と同じように笑ってみせた。すると、「そうよ!我慢出来ない時はこの前歯で噛み付くのよ」と急に顔を強ばらせ、眉毛を吊り上げ吐き捨てるように「商売だからね」と言い放った。気丈夫な雪ちゃんに本音を吐かせる相手は、紛れもなく米兵だと直ぐに解った。彼女が腹を立てる訳は幼い私にも十分理解出来たが、家人の誰もが同じような辛い思いに耐えて働く姿を見ていたので、さすがに返す言葉が見付からなかった。この時、余りにも固い彼女の表情が“もう我慢ならない”と言わんばかりに暗くゆがんで見えた。再び黙り込むと何か思案しながら湖面を眺めていた。
 突然、雪ちゃんの痩せた身体がすっと背伸びして腕を伸ばし「ホラ!」と言って白い人差し指を翳して目の前の大きな岩を示した。その先には、岩場の影で小さく丸まり目だけが赤く全身が白い蛇が一匹、ぬっと鎌首をもたげたままじっと湖水を見詰めていた。「あっ」と声を立てた私の口を素早く細い指が塞いだ。そして、「しっ・・黙って・・ヌシの使者よ、きっと会いに行く途中」と呟いた。はじめて見たはずの白い蛇を”ヌシの使者“と既に知っていた彼女を不思議に思ったが、そればかりではなかった。私の顔をしげしげと見入ると、他言しなければ必ず幸運に恵まれると言いくるめ、「誰にも内緒よ」と約束するように固く手を握り締めた。
 彼女の話によれば、この辺りには古くから乱暴者の魔物が棲み着き、自然の仲間たちを食い荒らしていたので見かねた女神が勇気を振るって退治し、それからはこの湖と森を守ることになった、魔物の家来だった白い蛇も素直に降参したので女神の優しい計らいにより“使者”を命じられ、この川を下って近隣の村人に“幸運”を届ける役目を与えられたと言う。鉄橋より約10㎞ほど下るとそそり立つ絶壁が凄まじい姿を現しその真下には深い淵が広がり、この渓谷が魔物を倒した古戦場だとも伝えられているそうだ。また、女神は近くの長沼や沼ノ端にも時々出掛けて行き悪者を懲らしめては再び湖に帰って来るとのこと、女神がこうして活躍する壮大な冒険物語に私はすっかり魅せられてしまった。この使者に着いて行けば、必ずやヌシに会えると思うと急に心が晴れて、はじめて聞いた話も真実だと思えると同時に古代の風景も重なり、目の前に現れた魔可不思議な“白い生きもの”をいとおしく思えるのであった。
 しばらくすると、蛇は静かに岩場をすり抜けて青い湖面に身を浮かべると首を上げぬるぬると泳ぎはじめた。後を追おうとすると「黙って見送って!」低い声が私の行動を遮った。“女神のところへ行くのだ”と私は彼女の言葉を信じた。蛇は一筋の細い波紋を残して遠く沖の方へ消えた。見送りながら「私も追い掛けるわ!」と小声で言った彼女の顔に再び笑みが戻った。それは、先程から迷っていた考えごとにケリを着けた一瞬だったかも知れない。この日、二人は互いに約束を胸に秘めたまま白い蛇の話題には一切触れなかった。
 その後、私は通学の途中で土手や橋を渡る度、支笏湖でのことを思い出してはそっと川べりに目を配り、時には草むらに入って白い蛇を探すことがあった。しかし、まったくその気配がなく、自慢の千歳川が“使者の通り道”であるはずなのに、日が経つに連れて“幻の道”へと色褪せて来たのである。雪ちゃんに近況を聞きたいと話し掛けても店が忙しくてとても無理、母にも幸ちゃんにも内緒にしているうちに何時の間にか忘れてしまった。ところが、ある日のこと、幸ちゃんから彼女がお店を辞めて故郷に帰ったと聞いた。やはり本人が予言した通り“幸運が舞い込んで実家に帰った”と思い込み、近いうちにきっと嬉しい便りがあるだろうと、密かにこころ待ちにして学校に通っていた。(つづく)