第9話 「月」をめでる人々

2013.02.04, 月曜の朝

~2013.02.04(月)~

 今年の冬は例年になく厳しい寒さに襲われ、私も風邪に見舞われてしまった。
 幼い頃、真夜中に熱を出すと遅くまで働いていた母が眼を擦りながら氷枕を作り冷たいタオルを額に当ててくれると「熱は潮の満ち引きで治まるから、きっと朝にはよくなるよ、安心しておやすみ」と優しい言葉を掛けてくれたことを思い出した。市販の風邪薬にばかり頼る私とは少し違い、昔の人は自然現象から生活の知恵を学んでいたらしい。潮が満ち引く海は地球の7割近くを覆っている。生物すべての“生みの親”であることを証明するように私たち体内の水分も同じ配分であるとされる。陰暦を見ると潮位の変化は「月」の朔望(満ち欠け)による現象とされ、遙か遠い天体が極く身近な肉体にまで影響を与えているとすれば、将に人間は自然そのものであるとしか言いようがない。“引力が働いているからだ”とひと口で済ませればそれまでのこと、しかしながら、天体の動きや気象現象を望遠鏡やレーダーで捉えることが出来ても、この摩可不思議な「引力」をコンピュターや通信網などと一緒に“もの”の如く捉えることは難しく、我々の目で見たこともなければ肌で触れたこともない・・と神秘的に思うのは私一人であろうか?
 その神秘を操る陰暦は新月(朔日、ついたち)からはじまる。「月」の変化は時計と反対廻りに進み“繊月”(せんげつ)から“三日月”(みかづき)へ・・やがて“上弦の月”に変身する。それぞれ「形」に沿って名が付され、次は十日夜(とおかんや)、十三夜月(じゅうさんやづき)、小望月(こもちづき)、そして「満月」(月と地球と太陽が一直線上に並ぶ)まで来ると時計を半廻りしたことになる。この後、十六夜月(いざよいづき)、立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)、更待月(ふけまちづき)、十八夜を経て下弦の月となり、有明月(ありあけづき)を過る頃は二十六夜、やがて晦日月(みそかづき)が来て漸く時計が一回りし月が改まる(新月に戻る)。この周期を12回繰り返すと新しい年が巡って来ると言う訳である(1年=354日、太陽歴よりも14日短いため“閏月”を設けた)。
 日本では明治6年から太陽暦(新暦)が採用されたがそれまでは陰暦(旧歴)であった。現代人の様に日付を数字で呼ぶのではなく、「今日は十六夜・・明日は立待月・・」などと情緒を籠めて会話したことであろう。微妙に変化する月の「形」になぞって、それぞれに名を冠して“時を刻んだ”この民族の「粋」で「お洒落」な感性、研ぎ澄まされた美意識に改めて喝采を贈りたくなる。昔の人々は農地を耕し海や川で魚を捕りながら月の満ち欠けを生活の“道標”とし、夜ごと月光を愛でながら暮らしていたのであろう。
 古今東西、紛れもなく天に「月」はひとつである。普遍的で尚且つ絶対的存在であるはずのものが、我々の想像を絶するほどに“千変万化”する・・ここに豊かな趣向があり、時には意表を突くかの如く雲に紛れて姿を消すこともある。「竹取物語」の作者はこの“光体”を眺めているうち宇宙を流転するユートピアの世界を思い描いたに違いなく、かぐや姫は竹から生まれた天女である不条理もまた真実であった。これに比べ太陽は凄まじいエネルギーを放出し永遠に燃え盛るが、静かな光を放ちながら変幻自在する姿はない。この華やかな連続生と悠久なる反復性に「物語」が生まれないはずがなく、さればこそ「月夜の明かり」は美しい和歌や絵に登場するのであり、古来より歌人や文人が愛する所以であろう。
 ちなみに手元の歳時記(現代歳時記、たちばな出版)“時候”の章によれば・・今月(二月)は陰暦で正月にあたる。早々に立春を迎え、もう早春である。日が暮れるのも少しずつ遅くなってきているのがわかる。寒いとは言え、自然は動きはじめている・・と記されてある。私達もそろそろ寒い冬から脱皮し春を迎える準備をはじめなければならない。風邪など引いておられないのだ。
 日々の暮らしの中に四季の変化を溶け込ませた知恵と風土を持つ我が日本人は世界でも珍しいかも知れない・・この伝統的な美学を享受出来る国に生まれたことを思うと何故か?安堵し心地よい気分に駆られる・・この妙に満ち足りた心持は、もしかすると寄る年波に在るかも知れないが、私も「月」をめでる人々にあやかりたい。 (終)