第5話 少年時代(三)

2012.05.14, 月曜の朝

 

~2012.5.7(月)~

 二人とも堂々と真正面で向き合った。 敵が本気で身構えるとさすがに隙がなくてまったく手が出せず、それは何人も寄せ付けない恐怖に満ちたプレッシャーだった。もちろん、咄嗟に思い着いた「蹴り」や「肩すかし」など通ずるはずもなく、蛇に睨まれた蛙と同じで容赦しない仕打ちを甘んじて受けなければならない局面。固い覚悟とは反対に冷え切った身体が恐怖で縮み上がりブルブルと震えが止まらず、闘志も腕力も妙案も・・何もかも意気消沈した最悪の事態と言う他はなかった。
 歯を食い縛って観念したその時、大男が平然と近づいて来てスッと腕を伸ばすとビンタが一発、躱す暇もなく右頬に飛んで来た。不気味な沈黙を守る米兵の凄まじい報復である。敵の様子がはっきり見えても自分の身体が思うように動かない、対決する気概や手だてなど既に失ったのも同然だった。目から火花が出ると同時に次にはガツンとげんこつが頭上で炸裂した。あっ!と言う間に私は軽々と担がれて浅瀬に投げ飛ばされ勝負は見事に決まり、まるで悪夢にでも取り憑かれたような瞬間だった。手がしびれる程の冷たさが全身に染み通り歯がガタガタと音を立てみるみるうちに唇が青ざめた。この清流は支笏湖を源泉とし街を離れると石狩川に合流してやがて日本海へと注ぐサケの通い道、また、冬のある日には白鳥が群れて一夜を過ごすこともある。一瞬のうちに米軍基地に豹変したこの街を分け隔て無く潤し、ここに住む人々に安らぎを与えていた。

 たとえボコボコに痛め付けられようとも“米兵には負けない”と腹をくくったからには、どんな逆境でも意地を貫かねばならぬと胆に命じ、降参する訳には行かないと固く心に言い聞かせた。ずぶ濡れになった学生帽を直ぐに拾って被り直し、それから腰を低く構え重心を定めて両脇をしっかりと固めた。手足がこごえて役に立たないのであれば全身で体当たりする他に術はなく、顎をグッと引き寄せ頭を敵に向けて狙いを定め“これが最後だ!”と捨て台詞を吐いて突撃体制を整えた。ニュース映画で見た日本兵の“突撃”場面を思い越し、最後の手段は決死の一撃、これこそ相手の度肝を抜く“必殺の技”だと確信した。
 私は新品の運動靴を川面に浸けて浅瀬に立ち、米兵は草むら近くのぬかるみに革靴が埋まったままの姿で陣取っている。遠くに社の森が見え周囲を巡る清流がこの戦いを見守るかのようにきらきらと光っていた。ふたりの距離は僅か10メートルほど、「行くぞ!」と放った宣戦布告が白波の立つ橋桁に響き、今こそ鬱憤を晴らす時、相手に不足はない!と居直ると漸く戦意に火が点き、まだまだやれる!と胸を張って気合いを入れた。
 我が身を惜しまず“覚悟の上”と眼を閉じると、母がいつも泣きながら口ずさんでいた軍歌が浮かんだ。父はシベリヤ極寒の地で腎臓結核に取り憑かれ二度と働けない身体で帰国、本人よりも肉親の叔父や母の悲しみの方が余程に深く、苫小牧での生活が幼い心の片隅で“痼り”となって残っている。その忌々しい“かさぶた”を今こそ剥がし落としてみせる!と念を入れ、“よし、敵討ちだ”と、あらん限りの声を出して檄を飛ばした。張り詰めたその声は社の森にこだまし、校舎の屋根に鋭く突き刺さったように聞こえた。風は止み葦の葉が垂直に土手に突き刺さって空を指し緊張が極度に達した岸辺はまさしく凄惨な戦場となった。直ちに目線を一点に絞り川底の小石を蹴散らかすと背中に水しぶきを浴びながら猛烈な勢いで突っ込んだ。
  途切れ途切れになる息の隙間で“天敵!”“天敵”と何度も叫ぶと“かさぶた”が一気に剥がれ落ちる気がして闘志が渦のように巻き上がった。千歳に着いたその時から悶々とした気持ちの原点は将にこの“天敵”にある・・そう思い起こすとますます居たたまれなくなって熱いものが込み上げて来た。高熱で脳が侵されたみたいに身体中が燃え盛っている。「俺の復讐だ!」と大声で叫ぶと堰を切った様に自分でも訳の分からない怒りが激しく突き上げ、口惜しくて情けなくて何よりも悲しくて胸が張り裂けそうになった・・その時、ドスンと鈍い音を立てて私の軍艦頭が相手のみぞおちに命中、復讐の一撃は見事に成功した。(軍艦頭とは小さい頃から頭が大きかった私のあだ名である。)
 無謀な少年の攻撃に戸惑ったか?それとも軽く受け流そうと油断したか?気が付くとまたもや大男が私の攻撃を躱し損ねて腹を抱え無様な姿でしゃがみ込んでいる。いきなり股間を蹴り上げられたのがつまずきのはじまりで「肩すかし」を浴びせられたりその後立て続けに痛め付けられ、面目が立たない屈辱の局面に追い込まれた。私の身体も少し離れたぬかるみに転がり、泥だらけの二人は眼だけを光らせて向き合っている。 米兵はひ弱な小学生を潰そうと思えば簡単に潰せたはずだが予想外の抵抗に遭って調子を狂わせ戦意を失い呆然としている。しかしながら、街中でいつも日本人に暴力を奮う米兵と比べると何処かが違う。たわいのない小者ひとつ捕らえることが出来ない“もろい足”には何か別の理由があるはずだと不思議に思っていたら、先刻、もみ合った時にプ~ンと甘い匂いがしたことを思い出した。腰がふらつき夢遊病者みたいに朦朧としているのは酔っている証拠、将に酒が原因だと直ぐに分かった。
 川辺の葦や泥んこなどみんな揃って私の味方、嫌いな酒までもが応援してくれると思うと勇気も百倍、同時に重大な“勝ち筋”までもが見えて来た。チャンスは酔いが覚めないうち!と気を取り戻すと“ここで勝負に出る”と決心し、改めて相手の姿を真正面で捉えた。この時、米兵が如何にも哀れな顔を私に向けたが、今や豪腕の持ち主である巨漢の姿ではなかった。・・と言って戦場から帰った勇ましい兵士でもない、泥まみれになって屈辱に耐えるただのアメリカ人に過ぎない!と割り切ると恐怖など何処かに消えてしまった。この戦場に残った相手は単なる酔いどれの抜け殻、金縛りに遭ったみたいに泥の中で棒立ちになった外国人・・そう思い直すと何ら迷うことはなかった。
 目の前が急に明るく開け油を差したように闘志がめらめらと燃え盛った。反撃のチャンスが巡って来たと思うと頭も冴え、敵を近づけず距離を保てばどうにか巨体を倒すことが出来ると妙案が浮かんだ。敵を真正面に捉えたまま色々と思案を巡らし、ぬかるみからじわじわと後ずさりをはじめて10メートルぐらいまで遠ざかった。米兵はこの戦いを諦め掛けているのか?時々怪訝な表情はするが何も手出しはしなかった。あるいは背後に私が隠れた葦の茂みが広がっているので、再びこの陰から「股間蹴り」を放つと敬遠したのかも知れない。しかし、同じ戦法を繰り返すことはなかった。
 この距離であれば何とか別の策が成り立つと思いわざと作り笑いを見せてニヤリと挑発した。すると、私の小生意気な態度に腹を立てた米兵が泥を跳ね除けよろけながら追い掛けて来た。再び戦いが起こると思ったが、覚束ない足元ではどうにもならない。思うツボにはまったと・・いつの間にか冷静になって敵の動きを計る余裕すら見えて来た。しかし、現実はそう甘くはなかった。米兵は形相だけは恐ろしく凄まじいが、肝心の行動は信じられないぐらい散漫で少年のスピードにはまったく付いて行けず、自分が酔っていることすら気付いていない。従って、のらりくらりと逃げ廻っていればいずれくたびれて動けなくなる、その時こそ再び奇襲が通ずるやも知れず、上手く運べば逃げることも出来るなど、相手を消耗させれば先が見えて勝てる気がして来た。
 ちょうどその時、数人の通行人が橋の上から一斉に顔を出し米兵に冷たい視線を浴びせた。どうやら彼等は幸ちゃんや私たちの争いを見ていたらしく、その中の若者が「坊主どうした?」と声を掛けて来た。きっと、彼等も私と同様に米兵が例によって乱暴していると察したのであろう。現場を見られた米兵はさすがに後ろめたく思ったのか?急いでその場を繕って足を止め、何事か思案しているような仕草で彼等が消えるのをじっと待っていた。もしかすると、この機会を捉えて少年から手を引き姿を眩まそうと思っていたのかも知れない。実は、この時、私も逃げようかと迷っていたのである。しかし、この戦いの根はあくまでも「正義」にあり、逃げるのは卑怯者がすること、幸ちゃんへの裏切り行為だと自分を戒め、それ以上の迷いを断ち切り思い留まることに決めた。突然、橋の上で戦車が通る轟音が響くと彼等は急いで姿を消した。
 今考えると、幼い私の方はもちろんのこと純粋な気持ちで挑んだ“正義”の戦いであったが、分別ある米兵にしてみれば酔いにまかせた“悪ふざけ”程度の軽い気分だったのかも知れない。幸ちゃんについても、少年の屈折した先入観や一方的な被害者意識のこだわりから早とちりを招いたと言えないこともない。米兵の真意が掴めない今となれば、私が想像するような深刻な事態ではなかったかも知れない。若い女性や少年ともめているうちに、米兵は行き過ぎた自分の行為に反省し、あるいは意外な方向に発展した煩わしい事態から早く逃れたい焦燥感に煽られていたと想像出来ないこともない。いつまでもたわいない事柄に引き摺られ無駄な寄り道などしていられない心境に駆られていたに違いなく、この焦りが更に米兵の傷口を深く抉り、少年に隙を与える結果になったと思えるのである。
(つづく)